限りなく院生に近いパリピ@エストニア

エストニアという国で一人ダラダラしてます。

なぜ大学生は群れるのか。

誤解されないために最初に言っておく。

僕は別に群れることを悪いとは思っていない。

よろしくどうぞ。

僕自身は一人が好きだとか群れるのが好きだとか、あまりないなー。

振り返ってみれば一人の時間の方が多かったし(一人っこというのもある)、誘ったり縛られたりするのがめんどくさいから一人で行っちゃうみたいなのは多いけれど、群れてみんなでワイワイするのも楽しい。

一人をやたら好もうする人は、群れてる人に対して

「なにあいつらいつも群れて。群れないと何もできねーのかよ」

みたいなこと言ってないかい?

群れたい時は群れればいいし、一人の時は一人でいい

それでいいではないか。

とはいいつつも、大学生を見ているとやはり群れてる側の人間の方がマジョリティーな気がする。

ただこの群れるという心理はどこから来ているのだろうか。

まるで夜の街頭にたかる虫のように。

これは同質性の社会というのを引きずっているからというのが一つあげられると思う。

やはり高校生まで特に日本は同じスタイル、同じ価値観、同じような生活を送らされてきて、それにそぐわないと仲間はずれにされる傾向が少なからずあったと思う。

日本の義務教育というのはある意味個性を死滅させるような面は持っているからね。

ところが大学に入ると、異質な他者や異なる意見や生き方を持っている人間(もちろん相手は学生とは限らない)を理解しつつ、自分というものを育てていかなければならない。

高校までの経験や教育と大学で置かれる自分の状況にギャップがあるため、これはそう簡単なものではないと思う。

時にはぶつかることも必要で、相手を傷つけるかもしれないような意見を言わなければならないこと、自分を通さなければならない場面というのも、今までに比べはるかに多くなってくるはずである。

しかし「群れる」というのは、ここでぶつかることを避けて、妥協的に遊びや楽しみに走り、無意識かつ無理やりにでも仲間意識を保とうとしているのではないだろうか。

一人外れることが怖いというのはどこかに必ずあると思う。

サークルみたいな群れだけでなく、就職活動だってみんな同じ時期に同じように始めたり、留学だって一つの冒険っぽくうたっていながら、行った先には同じような日本人がいたり、結局

「我が道をいく」

というのはなかなかできないことだと思う。

社会心理学では、人は集団になると思考停止状態に陥り、自分の考えや行動などを深くかえりみることなく無意識のうちに行動してしまうという集団心理がある。

MITとカリフォルニア大学バークレー校、カーネギーメロン大学の合同研究で、脳のMRIによる解析でこれが裏付けられている。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

という言葉は科学的にも証明ができるということだ。

集団でいる方が、ちょっとリミッターを外した理性に従わない行動を取りやすいということになる。

行動するのが怖い人にとって、集団心理の利用というのは理想の自分を描くにもってこいかもしれない。

だからむしろ、「群れる」ということは結構自然なことだと言える。

ただここから僕が一つ言いたいのは、誰でも一人で思い切った行動をしてみたいという心理はあると思うし、ただ集団心理が働くと良い意味でも悪い意味でもそういう「自分の中で見つけた違和感」というのが薄れてきてしまうから、常に違和感を大切にしていくべきだ、ということ。

自分というのは、思っている以上にコントロールするのが難しい。

 

海外コンプレックス

前回の記事にも書いたアリバイ留学

これと内容はかぶるところも多いんだけど、

どうやら海外へコンプレックスを抱く人は少なくないみたいだ。

学生に限らずね。

まぁ外国にいく、外国で勉強するとかいえば、

結構キラキラしててカッコよかったり、

「私はその辺の人とは違って海外志向よ」

みたいな優越感に浸ることもできるし、悪くないよね。

日本人って海外にいくことがかなり敷居の高い行動というイメージがあるから、

海外に対する憧れも強いんだと思う。

外国は陸続きだし、簡単に隣国までいけちゃうから、外国人にとっては他国にいくことはもっとポピュラー。

海外コンプレックスを持つことって別に悪いことではないと思うし、僕と違って向上心があってむしろいいことだと思うけど、見てて空回りしている人が多いんだよね。

"とりあえず海外にいけば何か変わるんじゃないか"

という期待が大きいから、多分そのまま日本にずっとい続けることが不安なんだと思う。

だけど同時に、大きな決断をする勇気もないから、ついつい中途半端な短期留学や語学留学で片付けてしまいがち。

もともとの海外のイメージがかなり高価なものだから、薄っぺらい海外体験であたかもものすごい人生が変わるような体験をしたような錯覚に陥る。

だから、Facebookを開けばみんな盛りに盛りまくった体験談を綴りまくる。

(いやいやw 所詮他の日本人留学生がたくさんいるようなところじゃねーか)

「ちょっと海外に行きました、海外思考があります」

こんな経歴、優越感に浸りたいだけなら本当にお金と時間の無駄だと思う。

何十万というお金をかけて行ったはいいけど、目的の外国語は話せるようになってません。なんじゃそりゃって感じ。

外国語を学びたければ、国内でできる。

今の時代、インターネットの語学学校にでも登録すれば格安で毎日勉強できるし、

外国人の友人が欲しければ、FacebookでもHello Talkでも使って友達作ればいいし、留学生や街中の外国人に話かければいいじゃん。

方法というのはたくさんあるはずなのに、一つの固定概念に縛られてイメージだけで行動するのはよくない。

海外コンプレックスを持ってる人間に一つだけ言えるのは、

彼らが思ってるほど海外という存在は遠くなければ、今の時代そこまで貴重な体験にもならない。

だから、期待しすぎて中途半端に自分の心の隙間の埋め合わせみたいなことをするのなら、その前にもう一度本質的に考え直したほうがいいと思う。

 

アリバイ留学

2年くらい前に読んだ本に「アリバイ留学」という単語が載っていたのを覚えている。

なんとなく朝起きてぼーっと考えてたら、そのことを思い出した。

「アリバイ留学ってなんだろう。」

聞いたことある人いるかな。

僕はこの単語自体は知らなかったが、内容自体はとても共感できるものだった。

アリバイ留学というのは大学生は就活の前に、

夏休みや春休みの長期休暇を利用して短期語学留学みたいなものに参加することなのだが、

その留学目的が「就活のため」になっていることである。

就活でちょっと「留学しました」とか言えば、

少しは良い印象が与えられるだろうし、それにグローバル人材もどきっぽく振る舞うことができる。

そこでの点数を稼ぐためにだけのために、何十万も払って留学するらしい。

「留学した!」というアリバイを作るための留学なので、

アリバイ留学。

もちろんアリバイ留学によってそこから新しい人生が開けたり、興味が変わったり、

いろんな出会いがあるから人生そのものが大きく変わる可能性も少しはあるだろう。

ただ、周りを見ていても結局帰国してから周りとまた同じように過ごしてる人がマジョリティーな気がする。

本当に多大なお金と時間を浪費して、非効率な留学するをする必要があるのだろうか。

周りから

「留学なんてすごいね!」

「やっぱ〇〇さんは考えてること違うね!」

みたいにチヤホヤされたいだけなんだろうな。

本人が満足ならそれでいいと思うけれど、

そういう本質的でない人が表面だけで判断されチヤホヤされる風潮、またはそういう非効率な留学支援団体みたいなのがなくなり、留学程度で評価されるような緩い日本社会が変わるのなら、社会や企業が求めているような人材がもっと増えるんじゃないかな。