限りなく院生に近いパリピ@エストニア

エストニアという国で一人ダラダラしてます。

人生はもっと簡単だ。

人生はもっと簡単だ。

だけど、東京のような都会で暮すのが当たり前になっているとそのことに気づけなくなってしまう。

「たくさん勉強しなさい」

「たくさん勉強したあとは、たくさん働きなさい」

というような暗黙の圧力に圧迫されながら生きる。

そして、勉強して働いて「成功」を追い求めなければいけない。

「出世」「成功」「年収」「マイホーム」「結婚」etc..

都会には生活を難しくする言葉がたくさんある。

都会の人々は、

たくさん勉強したあと、たくさん働き、たくさん稼いで何をするのだろうか?

奇妙なことに、30年以上マイホームのローンを払い続けるのだ。

悲しいことに、さらに自分の人生を難しいものにしてしまっている。

だがここで問題なのは、都会の人々は自分からどんどん人生を難しいものに変えてしまっていることに気づいていないことである。

そりゃそうだ。

周りを見渡しても自分と同じような人しかいないし、そう生きることが正しい人生だと無意識に思い込んでしまっている部分があるのだ。

「高い料理を食べても顔は変わらないよ」

僕は今でこそ地球の反対側の貧乏な小さな国に住んでいるが、

出身は東京であり、高い食べ物を食べに行くことも多々あった。

しかし、その時いつも思うのは

高いお金を払っても、その一瞬優越感に浸れること以外に何もない

ということ。

もちろんお金を払って美味しいものを食べるのも楽しいし美味しいが、

お腹が空いている時に卵かけご飯を食べてもめちゃくちゃ美味しい。

高い食べ物を食べた帰り道、

ショーウィンドウに映った僕の姿はいつと全く同じ姿の僕だった。

いつ見ても同じ体型、同じブサイク顔。

何も変わりゃしないんだ。

あとからやってくるのは、

「なんて無駄なお金の使い方をしてしまったんだ...」

という罪悪感。

子供の頃はもっと人生が簡単だった。そうでしょ?

それが大人になるにつれてお金を使うことで人生を潤すようになり、

いつの間にかお金を使うことに頼るようになってしまった。

「いや大人と子供は違うでしょ」

そうかな。

世の中にはお金を使わなくてももっと幸せに暮らしている人々はたくさんいる。

お金を持っていなくてもたくさん家を思っている人もいる。

彼らは人生を簡単に生きる方法を知っているのだ

人生はもっと簡単だ。

しかし、現代社会を生きる都会の若者は人生を簡単に生きる方法を知らない。

僕はそういう価値観を今の若者こそ学ぶ必要があるのではないかと思う。