エストニアで美女に溺れる。

エストニアという国で一人ダラダラしてます。

なんでブサイクだとダメなの?

朝起きてまず鏡を見る。

 

そしてその度に鬱になる。

 

そうやってブサイクの1日が始まる。

 

俗に言う「美男美女」という人種が、毎日鏡の中の自分の姿に満足し、

 

鏡を見るだけで眠気が吹っ飛ぶような心地よい朝を迎えているのに対し、

 

我々ブサイク星人は、

毎朝、線路に敷き詰められた石みたいな顔を観測することに成功している。

 

「もっと前向きに生きよう!」

 

誰がこんなことを言い出した?

 

美男美女が朝から自分の顔を見るだけで

「今日も1日頑張ろう!」

とか言いながら鏡の中の自分にキスとかしているのに対し、

我々は朝から自分の顔を見るだけで

「今日も醜い姿をお見せしてすみません」

というマイナススタートになるのだ。

 

そう。そもそもスタートが違う。

 

こんなことをぼやいていると

「もっと自分に自信を持ちなさい!別にあんたブサイクじゃないよ」

と親が言ってくる。

 

親からしてみればある意味救いの言葉をかけているつもりで、

もちろん自分の子供に

「あんたはブサイクなのよ!もっと申し訳なさそうに生きなさい!」

なんて声をかける親はほとんどいないと思うが、

ここで一瞬でも

「あ!俺ってそんなブサイクでもないのか!」

とか勘違いしてしまったら死のループに陥ってしまう。

 

外に出ると毎日誰かしらが僕のことをブスと言ってくるからである。

 

僕がブスなのだろうか?

それとも自分が思っているほどブスではないのか?

 

頭の中をネガティブのまま逃げたい自分と、

微かな光に手を伸ばそうとする自分が交差する。

 

そもそもなぜブスはこんなにも嫌われるのだろう。

 

なぜブスだといけないのだろう。

 

月に1万人もの人々が僕と同じように

「私はブス?」

とググっているらしい。

 

自分の映った動画をYoutubeにアップし、

「私はブスですか?コメントをください」

こんなことをしている人々が何千人もいる。

 

哀しく、そして冷たい世界になってしまった。

 

誰もいないくらい部屋の片隅で、毎日他人からどう見られるのかを一人恐れ、

 

いつしか自分の見た目に自信がないという理由で、面接にもいけなくなった少女が増加している。

 

インターネットの発展、TwitterFacebookInstagram、今や数多くのソーシャルメディアサービスの普及によって多大な情報や多大な人々と容易に繋がれるようになった。

 

容姿の良い人たちはたくさんのいいね!を受け取ることができ、優越感に浸っているのだろう。

 

一方でブサイクは醜い。

 

常に誹謗中傷のターゲットにされ、他の人間と比較され、

 

コメント欄を除けばまるでスラム街のような汚さ。

 

人間は弱く、そして心は脆い。

 

気にするなと言われても、大多数の人間は気にしてしまうのが普通である。

 

常に誰かと繋がっているのがインターネットで当たり前になってしまったこの時代、

 

10代20代の若者は一人になる時間がないのだ。

 

我々はもっと外見ではなく、その人の行いで人を評価するべきなんだ。

 

髪型や目の大きさ、鼻の高さ、あるいは胸の大きさで判断するのではなく、

 

もっと本質を見抜かなければいけない。

 

見た目への自身の欠如によって咲くことができなくなってしまった多くの枯れきった花に、

 

いつか光と水を与えることができたなら、

 

どれだけ世界がより美しく見えるか、

 

そしてどれほどの経済効果を生み出すことにつながるか想像してみてほしい。