なぜ大学生は群れるのか。
誤解されないために最初に言っておく。
僕は別に群れることを悪いとは思っていない。
よろしくどうぞ。
僕自身は一人が好きだとか群れるのが好きだとか、あまりないなー。
振り返ってみれば一人の時間の方が多かったし(一人っこというのもある)、誘ったり縛られたりするのがめんどくさいから一人で行っちゃうみたいなのは多いけれど、群れてみんなでワイワイするのも楽しい。
一人をやたら好もうする人は、群れてる人に対して
「なにあいつらいつも群れて。群れないと何もできねーのかよ」
みたいなこと言ってないかい?
群れたい時は群れればいいし、一人の時は一人でいい。
それでいいではないか。
とはいいつつも、大学生を見ているとやはり群れてる側の人間の方がマジョリティーな気がする。
ただこの群れるという心理はどこから来ているのだろうか。
まるで夜の街頭にたかる虫のように。
これは同質性の社会というのを引きずっているからというのが一つあげられると思う。
やはり高校生まで特に日本は同じスタイル、同じ価値観、同じような生活を送らされてきて、それにそぐわないと仲間はずれにされる傾向が少なからずあったと思う。
日本の義務教育というのはある意味個性を死滅させるような面は持っているからね。
ところが大学に入ると、異質な他者や異なる意見や生き方を持っている人間(もちろん相手は学生とは限らない)を理解しつつ、自分というものを育てていかなければならない。
高校までの経験や教育と大学で置かれる自分の状況にギャップがあるため、これはそう簡単なものではないと思う。
時にはぶつかることも必要で、相手を傷つけるかもしれないような意見を言わなければならないこと、自分を通さなければならない場面というのも、今までに比べはるかに多くなってくるはずである。
しかし「群れる」というのは、ここでぶつかることを避けて、妥協的に遊びや楽しみに走り、無意識かつ無理やりにでも仲間意識を保とうとしているのではないだろうか。
一人外れることが怖いというのはどこかに必ずあると思う。
サークルみたいな群れだけでなく、就職活動だってみんな同じ時期に同じように始めたり、留学だって一つの冒険っぽくうたっていながら、行った先には同じような日本人がいたり、結局
「我が道をいく」
というのはなかなかできないことだと思う。
社会心理学では、人は集団になると思考停止状態に陥り、自分の考えや行動などを深くかえりみることなく無意識のうちに行動してしまうという集団心理がある。
MITとカリフォルニア大学バークレー校、カーネギーメロン大学の合同研究で、脳のMRIによる解析でこれが裏付けられている。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
という言葉は科学的にも証明ができるということだ。
集団でいる方が、ちょっとリミッターを外した理性に従わない行動を取りやすいということになる。
行動するのが怖い人にとって、集団心理の利用というのは理想の自分を描くにもってこいかもしれない。
だからむしろ、「群れる」ということは結構自然なことだと言える。
ただここから僕が一つ言いたいのは、誰でも一人で思い切った行動をしてみたいという心理はあると思うし、ただ集団心理が働くと良い意味でも悪い意味でもそういう「自分の中で見つけた違和感」というのが薄れてきてしまうから、常に違和感を大切にしていくべきだ、ということ。
自分というのは、思っている以上にコントロールするのが難しい。