ニートやれるうちはニートでいいと思う。
働きたいなら働けばいいし。
むしろ「働きたい!!」って思うことが、効率的な発想を生み出す妨げにだってなる。
「出来る限り働きたくないな」「もっと楽したいな」
という考えが、もっと効率の良い方法を生み出す種になる可能性は大いにある。
だから逆に労働意欲旺盛な社会人や、やたらビジネスをすることに背意欲的な学生というのは、盲目になっている部分もたくさんあると思う。
それに、ニートだから見えてくることってたくさんある。
僕は大学を卒業して半年間は正真正銘のニートだったわけだが、解放感しかなかったな。
社会が自分を必要としてない、どこか自分だけ街ゆく人から外れた存在、透明人間になった気分。
そこから見える社会の姿というのは、ニートにしか見えない。
一生懸命働き、仕事だけしている人というのは、どうしても発想のリソースが仕事からだけになりがちだ。全然ユニークではない。
例えば、マルクス資本論で有名なマルクスは、実はニートである。
職に就かず、親の財産で遊びまくり、友人にお金を借りまくってまで、フラフラしていた男だ。
だが一方で、だからこそ「マルクス資本論」という世界的大ヒットな考えを生み出すことができたと言える。
働いている人にはできない、新しい社会の見方をすることができたということだ。
つまり、人というのは価値のあると言われている経験を、価値がある経験と思ってしまう傾向があるが、何が自分の糧、きっかけになるのかなんて本当は誰にもわからないのだ。