限りなく院生に近いパリピ@エストニア

エストニアという国で一人ダラダラしてます。

ニートやれるうちはニートでいいと思う。

ニート出来るうちはニートやってていいと思う。

働きたいなら働けばいいし。

むしろ「働きたい!!」って思うことが、効率的な発想を生み出す妨げにだってなる。

「出来る限り働きたくないな」「もっと楽したいな」

という考えが、もっと効率の良い方法を生み出す種になる可能性は大いにある。

だから逆に労働意欲旺盛な社会人や、やたらビジネスをすることに背意欲的な学生というのは、盲目になっている部分もたくさんあると思う。

それに、ニートだから見えてくることってたくさんある。

僕は大学を卒業して半年間は正真正銘のニートだったわけだが、解放感しかなかったな。

社会が自分を必要としてない、どこか自分だけ街ゆく人から外れた存在、透明人間になった気分。

そこから見える社会の姿というのは、ニートにしか見えない。

一生懸命働き、仕事だけしている人というのは、どうしても発想のリソースが仕事からだけになりがちだ。全然ユニークではない。

例えば、マルクス資本論で有名なマルクスは、実はニートである。

職に就かず、親の財産で遊びまくり、友人にお金を借りまくってまで、フラフラしていた男だ。

だが一方で、だからこそ「マルクス資本論」という世界的大ヒットな考えを生み出すことができたと言える。

働いている人にはできない、新しい社会の見方をすることができたということだ。

つまり、人というのは価値のあると言われている経験を、価値がある経験と思ってしまう傾向があるが、何が自分の糧、きっかけになるのかなんて本当は誰にもわからないのだ。

だから、ニートしたいならニートすればいいと思う。