限りなく院生に近いパリピ@エストニア

エストニアという国で一人ダラダラしてます。

少ないお金で効率よく生きる。

頭が良いからお金をたくさん稼ぐのか、

頭が良いから少ないお金で効率よく生きていくのか。

「お金をたくさん稼がなければ生きていけない」と考えている人は多いのではないか。

例えば、小学校中学校の時はお小遣いを500円とかもらっていたと思う。

高校になると5000円くらいが相場かな?

そして大学になると多くの人はアルバイトをし、人によってはバイトで月10万以上稼ぐ人もいる。もちろん一般的な大学生の話だ。

そして社会人になると、もらえる額が急に上がるので、消費する量も上がる。

人というのは、生活のレベルを上げることは簡単にできる。

お金を稼いで使うだけの話だ。

一方で、生活のレベルを下げることができる人はどのくらいいるのだろうか。

お金のある生活、お金を使う生活に慣れてしまうと、生活のレベルを下げるのはとても大変だ。

お小遣いを毎月10万円もらっているのに、明日からお小遣いが3万円になってしまったら、適応するのにかなりの時間とエナジーを使うことになるであろう。

中には借金までして、生活レベルを保とうとする人もいるみたいだ。

つまり、お金を稼ぎそれを無駄に消費する生活というのは、お金を消費することでしか自分を満たすことができなくなってしまうのである。

ある研究で、お金で得られる幸せの限界数値は年収約670万円というデータがある。

年収670万円以上だと、お金のある満足感よりも「今あるお金を失ってしまったらどうしよう」という不安要素の方が大きくなってしまうらしい。

お金というのは人間にとってそれほど必要なものではないのかもしれない。

一方で、ニートという人種がいる。

僕は厳密にはニートではないが、ニートみたいな生活を送っている。

彼らがお金はないのに、とても幸せそうなのはなぜだろうか。

ニートは社会的地位は底辺で、世間からは見下されている存在であるが、僕は逆に優秀な人間だと思っている。

貧富の差は比較的小さい先進国だというのに、少ないお金の中で、効率よく生きるというのは一つの才能と言っても過言ではない。

例えばインターネット。これはお金を使わず時間を潰すことのできる一つのツールである。

ニートの人で、楽しく生きている人の共通点は「インターネットが好き」ということである。家で一人でいても、誰かと繋がることができる。繋がりといえば僕の専門であるネットワークの分野になるが、今回はそこには触れないことにする。

つまり、今の時代、お金を消費せずに満足な生活を送る環境というのは整っているということだ。

そこに気づける人間というのは、お金という呪縛から解放され、もっと自由で本当の幸せ、みたいなものに辿り着けるのだろう。

稼ぐことばかりに頭を使うのではなく、どう工夫すればお金がなくても生きていけるのかを一度考えてみてもいいのではないか。