エストニアで美女に溺れる。

エストニアという国で一人ダラダラしてます。

はてなブログにソースコードを貼る方法(メモ)

適当に実装したものもメモとしてこのブログに残しておきたいと思ったのだが、

そもそもはてなブログへのソースコードの貼り方、埋め方を知らなかったので、とても簡単に調べて、簡単にまとめておこう。

 

 

まず、前提として

はてなブログソースコードをそれっぽく表示するには、

htmlで<pre><code>と</pre></code>の間に表示させたいソースコードを入れるのが一番簡単な方法だと思う。

 

 

もっと見やすい出し方とかもあるが、僕はそこまでエナジーを注ぎたくはないので、

<pre><code>ソースコード</pre></code>

の一強でしばらくいきたい。

 

 

f:id:T_I_SHOW:20170915031633p:plain

画像の赤丸で囲んである部分からHTML編集に飛んで、

f:id:T_I_SHOW:20170915031831p:plain

と打ち込めば、例えばCSSなら下のように簡易的な表示が可能。なるほど。

.entry-content h3{ 
padding: 5px 10px; 
border-left: 10px solid #fc0;
}

色をつけたりする場合は、別の方法の方が良いかも?!

趣味は仕事にしない方がいい

大学3年生の終わり頃くらいからかな。

僕が人生を真剣に考えることをやめたのは。

 

 

人生をゲームとして。

もっと言えばやることなすこと全てを趣味と思って取り組み始めてから、

人生が楽しくなった気がする。

 

 

だからエストニアに来てるのも趣味みたいなものだし、

物理やったり、データ解析したり、またはその大会に自ら参加してるのも全部趣味であって、わざわざ仕事にしたいと思わない。

 

 

夏の日本でのインターン中やエストニアに来てからも、いくつか会社から声をかけられたので、面接に行ったりすると、決まって

「数年後はどうなっていたい?」という、いかにも繁華街のアホなOLが好きそうな高級料理店で出されるスイーツ、みたいなことを聞かれる。

そんなことは僕にはどうでもいい話なので、

「特にないです」と答えた。もちろん特にない理由を相手に納得してもらうように説明する努力はしてきた。

まぁそんな感じでも面接はインターンも、こっちの会社も通ったし、だから「夢なんか持つ必要がない」ということも、あながち理解されないことでもないのかもしれない。

 

 

ある会社ではこんなことも聞かれた。

 

「やりがいを持って仕事ができる人じゃないと、うちでは残れないと思う。仕事はお金をもらうための作業ではなくて、やりがいを見出しで自ら動くものと思うけれど、君はどういう考えを持っている?」

 

似た話は、面接でなくてもいろんなところで聞いてきた。

 

 

僕が「仕事はお金をもらうためにするもので、それ以上でもそれ以下でもない」

と答えると、面接官の眉毛が釣り上る。

 

 

趣味を仕事にすると絶対にそれが嫌いになってしまう。

テニスは大好きだったが、テニスコーチの仕事は大嫌いだった。

大学時代、時給3000円ももらっていたというのに、バイトのある日はいつもより重力が強く感じだ。

それでいて、サークルの仲間などにテニスを教えるのは楽しかった。もちろん無給だ。

 

 

「仕事にやりがいを」みたいなことを言っている人に問いたい。

あなたのやっているその仕事、お金が払われなくても続けますか?

 

本当に仕事にやりがいを感じてるという人は、それを仕事と思っていない。

趣味同然だ。自分で会社を始めたり、安月給でもアニメを作り続けるクリエーターなんかはその類である。

一方で、雇われてそれなりの安定した給料をもらっている場合は、給料が払わられなくなった時、本当に続けるのだろうか?

ほとんどの人はやめてしまうのではないか?

 

 

とある心理学の実験。

一方のクラスにはテストを受けたら500円あげると言う。

もう一方には無給。

 

テストが終わり、最初に500円あげたクラスの方に、次のテスト(無給)受けたい人受けていいよと言う。

もう一方には相変わらず無給。

 

この場合、最初から無給だったクラスの子の方が、次のテストも受ける数が多い。

 

 

報酬があると結局それが行動の理由になってしまいがちなのだ。

趣味というのは基本、無給でも好きだからやってしまうもの。

この論理でいくと、趣味を仕事にしても続かないのは明白ではないのではなかろうか。

 

 ちなみに面接で、このような話をもっと整頓して話したら、面接官も大満足してくれたので、もし聞かれたら使える回答かもしれない。

 

 

なんでブサイクだとダメなの?

朝起きてまず鏡を見る。

 

そしてその度に鬱になる。

 

そうやってブサイクの1日が始まる。

 

俗に言う「美男美女」という人種が、毎日鏡の中の自分の姿に満足し、

 

鏡を見るだけで眠気が吹っ飛ぶような心地よい朝を迎えているのに対し、

 

我々ブサイク星人は、

毎朝、線路に敷き詰められた石みたいな顔を観測することに成功している。

 

「もっと前向きに生きよう!」

 

誰がこんなことを言い出した?

 

美男美女が朝から自分の顔を見るだけで

「今日も1日頑張ろう!」

とか言いながら鏡の中の自分にキスとかしているのに対し、

我々は朝から自分の顔を見るだけで

「今日も醜い姿をお見せしてすみません」

というマイナススタートになるのだ。

 

そう。そもそもスタートが違う。

 

こんなことをぼやいていると

「もっと自分に自信を持ちなさい!別にあんたブサイクじゃないよ」

と親が言ってくる。

 

親からしてみればある意味救いの言葉をかけているつもりで、

もちろん自分の子供に

「あんたはブサイクなのよ!もっと申し訳なさそうに生きなさい!」

なんて声をかける親はほとんどいないと思うが、

ここで一瞬でも

「あ!俺ってそんなブサイクでもないのか!」

とか勘違いしてしまったら死のループに陥ってしまう。

 

外に出ると毎日誰かしらが僕のことをブスと言ってくるからである。

 

僕がブスなのだろうか?

それとも自分が思っているほどブスではないのか?

 

頭の中をネガティブのまま逃げたい自分と、

微かな光に手を伸ばそうとする自分が交差する。

 

そもそもなぜブスはこんなにも嫌われるのだろう。

 

なぜブスだといけないのだろう。

 

月に1万人もの人々が僕と同じように

「私はブス?」

とググっているらしい。

 

自分の映った動画をYoutubeにアップし、

「私はブスですか?コメントをください」

こんなことをしている人々が何千人もいる。

 

哀しく、そして冷たい世界になってしまった。

 

誰もいないくらい部屋の片隅で、毎日他人からどう見られるのかを一人恐れ、

 

いつしか自分の見た目に自信がないという理由で、面接にもいけなくなった少女が増加している。

 

インターネットの発展、TwitterFacebookInstagram、今や数多くのソーシャルメディアサービスの普及によって多大な情報や多大な人々と容易に繋がれるようになった。

 

容姿の良い人たちはたくさんのいいね!を受け取ることができ、優越感に浸っているのだろう。

 

一方でブサイクは醜い。

 

常に誹謗中傷のターゲットにされ、他の人間と比較され、

 

コメント欄を除けばまるでスラム街のような汚さ。

 

人間は弱く、そして心は脆い。

 

気にするなと言われても、大多数の人間は気にしてしまうのが普通である。

 

常に誰かと繋がっているのがインターネットで当たり前になってしまったこの時代、

 

10代20代の若者は一人になる時間がないのだ。

 

我々はもっと外見ではなく、その人の行いで人を評価するべきなんだ。

 

髪型や目の大きさ、鼻の高さ、あるいは胸の大きさで判断するのではなく、

 

もっと本質を見抜かなければいけない。

 

見た目への自身の欠如によって咲くことができなくなってしまった多くの枯れきった花に、

 

いつか光と水を与えることができたなら、

 

どれだけ世界がより美しく見えるか、

 

そしてどれほどの経済効果を生み出すことにつながるか想像してみてほしい。